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浦和地方裁判所熊谷支部 昭和51年(ワ)229号 判決 1979年4月16日

原告

大沢春吉

ほか一名

被告

埼玉県

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

註 以下本判決においては次の略称を用いる。年号は全て昭和である。

亡正幸 亡大沢正幸

本件オートバイ 別紙物件目録記載のオートバイ

見取図 別添現場見取図

第一請求の趣旨

被告は原告ら各自に対し、七八三万九二九〇円とこれに対する五一年六月一三日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

仮執行宣言

第二当事者の主張

一  原告

1  事故の態様

原告ら夫婦の次男である亡正幸は、五一年六月一三日午前二時頃、本件オートバイを運転し、埼玉県行田市小見五五八番地先県道(通称佐野―行田線)を行田市街方面から羽生方面に向い時速約七〇~八〇kmの速度で走行中、見沼用水路(通称星川)にかかる棒川橋の手前約二〇m地点に差しかかつた際、同所は左に大きくカーブし、かつ左側沿側には草木が繁茂していたため見通しが悪く、そのため亡正幸はカーブの発見に遅れてそのまま直進し、対向車線の路肩に設置されていたガード・レール(見取図A)に接触して、ハンドル操作の自由を失い、前記棒川橋の倒壊し欠落していた袖勾欄箇所(見取図B)から前記用水路に本件オートバイもろとも転落し、よつて同時刻ころ同箇所で溺死した。

2  被告の責任

棒川橋は、被告が設置し、かつ、その責任において管理するものであり、「管理者は道路を常時良好な状態で保つよう維持し、修繕し、もつて一般交通に支障を及ぼさないように努めなければならない」(道路法四条一項)のに、亡正幸が転落した箇所は、長さ約三・五mにわたり袖勾欄が倒壊、欠落しており(見取図イ―ロ間)他に転落を防止する安全設備が全く施されていなかつた。ところで、本件事故前に右倒壊箇所が補修され、あるいは他の危険防止設備が設置されていれば、本件のごとき転落による溺死という重大事故は回避できたはずであり、右事故は公の営造物たる棒川橋の設置及び管理に瑕疵があつたため生じた事故であるから、被告は国家賠償法二条一項により本件事故によつて生じた後記の損害を賠償する責任がある。

3  本件事故による損害

(一) 逸失利益

死亡した亡正幸は当時一七歳で高校二年に在学中の健康な男子であつたから、高校卒業後一八歳で就労した場合、就労可能な六七歳まで四九年間にわたる逸失利益は、四九年度賃金センサスにより、かつこの間の生活費控除を平均三五%とし、中間利息(ライプニツツ方式)を控除して算出すると、別紙計算表記載のとおり二一三五万七一六一円となる。

(二) 慰藉料

亡正幸の死亡によつてかけがえのない我が子を失つた原告ら夫婦の精神的苦痛は尽大であるが、右精神的苦痛に対する慰藉料は原告ら各自に対しそれぞれ五〇〇万円が相当である。

(三) 過失相殺

本件事故には亡正幸にも前方不注意等の過失が考えられるが、しかし右過失は多く見積つても五〇%を越えることはない。

そこで、本件事故による損害前記(一)(二)の合計三一三五万七一六一円の内二分の一を亡正幸の過失によるものとして控除した残一五六七万八五八〇円につき、被告は原告ら各自に対し、その二分の一づつを支払う義務がある。

4  よつて、原告らは、右金員とこれに対する事故の起きた五一年六月一三日以降右完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めて本訴に及ぶ。

5  被告の主張2項(一)、(二)は認める。2項(三)は否認する。2項(四)については、亡正幸が本件オートバイを走らせていたこと、同人が彎曲した道路に沿つて曲がることが出来ず、運転の自由を失つて道路中央線を越えて右側に進出したこと、棒川橋の手前右側から見沼用水に転落して死亡したことは認めるが、その余は争う。

同3項は争う。

同4項冒頭の記載は争う。4項(一)は認める。4項(二)は争う。4項(三)は認める。4項(四)は争う。4項(五)は争う。

同5項冒頭の記載は争う。5項(一)については走行速度の点を除き認める。5項(二)については棒川橋手前の彎曲部分を曲がり切れず、道路の中央線を越えて進み、棒川橋の翼壁の部分を飛び越して川に転落したことは認めるが、その余は争う。5項(三)は争う。

同6、7項は争う。

6  被告は本件袖勾欄は、単に橋の外観を保つという目的のためだけに設けられたものであつて、一般通行人や通行車両の転落を防止するために設置されたものではないから、これが倒壊し、設置されていても直ちに工作物の設置又は管理に瑕疵があるということは出来ないという。

もつともこの点被告の主張は、橋の四隅に張り出ている袖勾欄というものは、全て、外観保持という目的しか有していないものだと言つているのか、あるいは本件脱落した袖勾欄は亡正幸の進路とは逆方向即ち羽生市方面から行田市方面へ進行する車両に対しては転落防止の目的を有するが、これと反対方面に向う車両に対しては、転落等の危険防止の目的はないというのか判然としない。

しかし主張の趣旨は、少くとも亡正幸と同様行田市方面から羽生市方面に向う車両に対しては、それら車両は本来道路左側を走行してくるはずのものであるから、進路右側に張り出して設置されていた本件袖勾欄は、何ら危険防止の目的機能を有するものではなく、たとえ、亡正幸が対向車線を越え、脱落箇所から転落溺死してもこれは、棒川橋の管理に瑕疵があつたためではないというのであろう。

7  しかし、そもそも瑕疵とは「その物が本来備えているべき性質や設備を欠いていること」である。

そして、その判断は客観的になすべきであり、占有者や所有者の特殊な主観に基づくものであつてはならず、更には、その工作物の単なる形状のみに止まらず、周辺の環境及びその変化に応じたものでなければならない。

ところで本件転落箇所は、長さ約三・五mにわたつて袖勾欄が脱落していたため、同所は道路とほぼ同一の高さのまま平坦に続き、しかもその直下は直接水面に接しているのであつて、周囲は転落の危険が大であり、従つて本件袖勾欄が通行人や車両等の転落防止のために設けられていたものであり、その機能を果していたものであることは被告がどのように弁解しようとも疑問の余地はない。

しかも、本件現場付近は橋の手前約二〇mのところから左に急にわん曲し、しかも見通しが極めて悪く、その上棒川橋の幅員が急に狭くなつている。

このような現場の状況からすれば事故現場付近が急激にわん曲し、道路幅が急に狭くなつていることを認識出来ずに直進してくる車両があり得ることは十分予想出来るところである(現場を通行利用する通行人がすべて通常人であり、かつ相当の注意を払つて通行するものとは限らない。)。

以上述べたところによれば、本件袖勾欄が倒壊し、放置されていた事実が棒川橋の設置及び管理の瑕疵に当ることは明らかである。

8  被告は、右袖勾欄の倒壊、放置が仮りに瑕疵であつたとしても、本件死亡事故は時速約一〇〇kmの高速による無謀運転が直接の原因であつて、たとえ、右袖勾欄が倒壊せずにそのまま存在していても、亡正幸は右高速のまま右袖勾欄に激突し、即死状態で死亡したであろうから、本件瑕疵とは因果関係はないと主張する。

しかし、被告の主張する右の因果関係論は独自の推量に基づく誤つた見解と言わなければならない。

亡正幸は、倒壊し、欠落していた袖勾欄箇所から転落し、溺死したのである。死亡の直接の原因は他ならぬ「溺死」であつた。

万一、右袖勾欄がそのまま設置されていたか、あるいは他の転落防止の措置が施されていたならば、亡正幸は転落することも、さらには溺死することもありえず、場合によつては傷害を負う程度でとどまつていたことも当然予想されたことである。その意味で本件瑕疵と溺死とは直接の因果関係がある。

被告の主張は本件袖勾欄が存しても死という結果をまぬがれることは出来なかつたはずだというのであるが、しかしこの場合死一般を論ずるべきではなく、具体的に発生した溺死という事態と本件瑕疵の因果関係の有無を論じ判断すべきなのであつて、被告主張のように架空の事態を想定し結果の有無を論ずることは、因果関係論ということが実際に生起した事実と事実との問題であつて、本来、仮定事実になじまないという意味で一種の暴論である。

かえつて、被告主張の事態を想定しても一〇〇%即死状態で死亡するはずだなどとどうして断言出来るのであろうか。かすり傷一つ負わずに助かる可能性もあるし、あるいは、重傷を負うも死に至らずにすむ場合もあり得るのである。

9  なお、被告は亡正幸の運転速度が当時時速一〇〇kmであり、かつ、亡正幸は右速度のまま直進し、川に転落した旨主張するが、事実は、速度は時速約八〇kmであつて、一旦、右側ガードレールに接触し、ハンドル操作の自由を失い転落したものである。

二  被告

1  原告の主張1項については、亡正幸が五一年六月一三日午前二時頃死亡したことは認める。

同2項については、被告が棒川橋を設置し、かつ、管理していること、袖勾欄の一部が倒壊していたことは認めるが、その余は争う。

同3項は不知。

同4項は争う。

2  本件事故の発生経緯は以下に述べるとおりである。

(一) 亡正幸(当時一七歳)は、本件オートバイを運転して、県道佐野行田線を、行田市市街地方面から羽生市方面に向つて車を走らせていた。

(二) ところで、事故現場である埼玉県行田市小見五七二番地先の道路は、幅員六・二米の舗装道路であり、棒川橋の手前二五米位のところから、左に急に彎曲しており、見通しは極めて悪く、その上棒川橋のところで、幅員が五・二米と狭くなつている。

しかして、左に彎曲しはじめる場所の更に手前には、最高速度が時速三〇kmに制限されていることを示す道路標識と追越禁止及び駐車禁止の標識があり、道路面には右側部分はみ出し通行禁止の黄色の中央線がある。

(三) 又、事故現場の手前には、幅員がせまくなることを示す道路標識と、道路が左に彎曲していることを示す道路標識もあり、棒川橋の手前右側のたもとには道路照明燈がそれぞれ設けられている。

(四) このような状態の道路を、亡正幸は、本件オートバイを制限速度の三倍を超える時速約一〇〇kmの速さで走らせていたため、彎曲し 道路にそつて曲がることができず、運転の自由を失つて、棒川橋の手前約一一m位のところから、道路中央線を越えて右側に進出し、棒川橋の手前右側から見沼用水に転落し死亡した。

3  前項に述べたように、本件事故は、亡正幸の無謀なオートトバイ運転により発生した自招事故であつて、被告に道路管理者としての責任はない。

4  原告は、袖勾欄の一部が倒壊していたことを理由として棒川橋の設置又は管理に瑕疵があるとするものであるが、倒壊個所は、県道の一般通行人等の近付くことのない場所であるから袖勾欄が倒壊していたというだけで棒川橋の設置又は管理に瑕疵があるとするのは当らない。即ち、

(一) 棒川橋の場合、橋の本体ともいうべき川の上に当たる部分については、橋の左右両側に鉄筋コンクリート製の欄干が設けられており、倒壊した個所というのは、亡正幸の進行方向から向つて右側の袖勾欄という部分である。

この袖勾欄は、川岸に張り出している橋の翼壁の部分のの上に設けられていた鉄筋コンクリート製のもので、数年前に倒壊したものである。

(二) しかして、川岸に向つて張り出している橋の翼壁の部分は、県道の一般通行人等が近付くような構造にはなつていないので、その上に設けられていた袖勾欄も県道の一般通行人等が転落するのを防止するという意味はなく、ただ橋の外観を保つという目的のためにだけ設けられたものである。

(三) 更に、亡正幸の進行方向とは逆の羽生市方面から棒川橋を渡つた先の道路左側には、羽生市方面から棒川橋を渡つて進行する自動車等が道路から左側の田圃等に転落したりすることを防止するため、ガードレールが設けられている。

(四) 右ガードレールは、羽生市方面から行田市方面に向つて道路交通法一七条三項の左側通行の規定に従つて進行する車両による事故の発生を防止するために設けられたものであつて、行田市の市街地方面から羽生市方面に向かう車両が事故に遭わないようにするためのものではない。

しかして、このことは、前記袖勾欄についても同様である。

(五) 以上の点からみて、袖勾欄が倒壊しているというだけで、棒川橋の設置又は管理に瑕疵があるとはいえない。

5  仮りに、袖勾欄が倒壊していたことが、棒川橋の設置又は管理の瑕疵に当るとしても、以下に述べるとおり、それが原因となつて亡正幸の死亡という結果が発生したとすることは出来ない。

(一) 既に述べたとおり、亡正幸は、事故現場附近を、行田市の市街地方面から、羽生市方面に向つて、時速約一〇〇kmの高速で本件オートバイを走らせていた。

(二) そして、棒川橋手前の彎曲部分を曲がりきれず、橋の手前約一一m位のところから、道路の中央線を越えて右側に真直ぐに進み、棒川橋の翼壁の部分を飛び越して川に転落したのである。

(三) しかして、仮りに、本件事故の際、袖勾欄があつたとした場合、亡正幸の身体は、鉄筋コンクリート製の勾欄に、時速約一〇〇km(秒速約二七・八m)の速さで激突したことになる。

ところで、このような高速で人体か鉄筋コンクリート製の建造物に激突した場合、身体の損傷が甚だしく、即死は免れないところである。又鉄筋コンクリート製の建造物でなくとも、川への転落を喰い止める程のものが設けられていたとすれば、即死状態で死亡することを免れることは不可能である。

6  本件事故前に、倒壊した袖勾欄が補修され、或いは他の危険防止設備が設けられていたならば、亡正幸は転落せず、従つて死亡しなかつた筈であるというのが原告の主張と思われるが、右に述べたとおり、本件事故の場合、袖勾欄の倒壊の有無に関係なく亡正幸の即死状態での死亡は免れ得なかつたものである。

7  よつて、仮りに棒川橋の設置又は管理に瑕疵があつたとしても、右瑕疵と亡正幸の死との間に因果関係を認めることは出来ない。

8  原告の主張7~9項は全て争う。

理由

一  成立に争いのない乙第一、二号証、弁論の全趣旨により成立の認められる甲第一号証、弁論の全趣旨により被告代理人弁護士常木茂が五二年一月二五日本件事故現場の手前一〇〇m位の地点から本件事故現場を見通したときの道路の状況を撮影した写真であると認められる乙第三号証、証人高橋守及び原告春吉の各供述並びに当事者双方の主張とを総合すると、以下の事実が認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

1  原告両名の次男である亡正幸(当時一七歳)は、五一年六月一三日午前二時頃本件オートバイを運転して、県道佐野行田線を行田市街方面から羽生市方面に向つて時速八〇km~一〇〇kmの速度で進行して行田市小見五七二番先の幅員六・二mの舗装された道路付近に差しかかつた。

2  ところで、右五七二番地道路付近には見沼用水にかかる全長約二三・八m、幅員五・二mの鉄筋コンクリート製の棒川橋があるが、行田市方面から棒川橋にかけての道路は幅員六・二mの舗装道路であつて棒川橋の手前(行田市寄り)二五m位のところから、急に左に彎曲しており、見通しは極めて悪く、そのうえ、棒川橋のところで幅員は五・二mと狭くなつていた。

3  そして、左に彎曲し始める場所の更に手前には棒川橋に向つて順に、道路の幅員が狭くなることを示す道路標識、道路が左に屈曲していることを示す道路標識、時速が三〇kmに制限されていることと追越が禁止されていることを示す道路標識、駐車禁止の標識があり、道路面には右側はみ出し通行禁止の黄色の中央線があり、棒川橋右側のたもとには道路照明燈が設置されていた。

4  しかして、亡正幸は右のような状況下の道路を、本件オートバイを制限速度の三倍前後の速さである時速八〇~一〇〇kmという速さで走らせていたため、彎曲した道路に沿つて曲がることが出来ず、運転の自由を失つて道路中央線を超えて右側に進出し、棒川橋手前右側から水深約二mの見沼用水に転落して死亡した。

5  ところで、前記棒川橋は鉄筋コンクリート製で、橋の両側には高さ一・〇m位の欄干があるが、欄干の末端は、亡正幸が転落した箇所付近のそれを除く三箇所においては見取図のほぼ赤斜線を施した箇所に、前記欄干とほぼ同じ高さかあるいはこれより幾分低い高さで袖勾欄が存在するところ、亡正幸が転落した箇所付近においては以前存在した袖勾欄が倒壊して見沼用水中に転落し、その後、そのまま放置されていたため、右箇所においては袖勾欄は欠落した状態にあり、しかして、亡正幸は、行田市から羽生市方向に向つて右側の欄干の南端部分に身体の一部が当るような位置関係において、以前袖勾欄が存在したところを越えて見沼用水中に転落したものである。

二  しかして、原告らは、袖勾欄の倒壊箇所が補修され、あるいは他の危険防止設備が設置されていれば、亡正幸が溺死するという結果は避けられた筈であると主張する。

そこで検討するに、

1  証人高橋守及び原告春吉の供述によれば亡正幸はオートバイの運転が上手であつたことが認められる。

2  しかして、運転の上手な亡正幸が本件事故にあつたということは、高度な運転技術をもつてしても道路の彎曲に即応し切れない程の速度がオートバイに出ていたことを意味するであろう。

3  次に、乙第一号証(実況見分調書)によれば、亡正幸が見沼用水に転落する直前に、同人が急ブレーキをかけ、その結果道路上にスリツプ痕が生じたという事実はないことが認められる。

4  以上1~3に述べたところ及び一項で認定の亡正幸が時速八〇~一〇〇kmの速度で本件オートバイを走行させていた事実並びに乙第一、二号証によつて認められるところの亡正幸の乗つていたオートバイの損傷部位と損傷程度及び右オートバイの一部とぶつかつたことにより生じたものと判断される袖勾欄の基礎コンクリートの損傷の程度とを総合すると、亡正幸の運転する本件オートバイが、倒壊前に袖勾欄が存在した位置に接近したときにおける、右オートバイの速度は相当高速であつたものと認めることが出来る。

5  そこで考えるに、袖勾欄が倒壊せずに存在していたと仮定し、あるいは一旦倒壊したが元どおりに復元されて存在していたと仮定した場合、右4に述べたところと乙第一号証によつて認められる亡正幸の進行方向並びに右乙第一号証と弁論の全趣旨によつて認められる袖勾欄の所在位置及び高さ(袖勾欄の高さは一項で認定したように、高さ一・〇m位の欄干と同じかこれより少し低い位の高さである。)とを総合すれば、亡正幸は自動二輪車に乗車したまま袖勾欄にほぼ垂直になるような角度で相当の高速度で右袖勾欄に衝突したであろうことが容易に推認される。

6  しかして、右のような場合、衝突の結果亡正幸の身体がどのように運動するかについて考えると、亡正幸の身体はオートバイを離れて慣性の法則に従い、従前の進行方向に投げ出されると見るのが最も合理的であり、これ以外の結果は殆ど考え難い。

そして、このことと、乙第一号証によつて認められる見沼用水の幅及び深さとを併せ考えると、袖勾欄が存在したとしても亡正幸の溺死は免れ得なかつた可能性が極めて強く、袖勾欄が存在すれば、亡正幸が死亡(溺死)することはなかつたという関係の存在を認めることは出来ず、結局、亡正幸の死亡と袖勾欄が倒壊したままに放置されていたこととの間には因果関係は認め難いものと言わざるを得ない(棒川橋に設置された袖勾欄では高さが足りず、オートバイが衝突しても、運転者が用水に落ち込むことのないような高さの袖勾欄を設置すべきだとまで原告らは主張するつもりはないであろう。仮に、右のよう主張をしても、それは常識的に判断して採用出来る主張ではない。)。

三  なお、原告は、亡正幸は、欄干よりも行田市側で、亡正幸の進行方向から見て右側の道路の側端に設置されていたガードレールに接触して運転の自由を失い、見沼用水に転落したものである旨の主張をするところ、ガードレールに接触した事実があり、かつ袖勾欄が倒壊せずに存在していたら、亡正幸にどういう結果が生じたか(溺死したか、溺死せずに激突死したか、あるいはそれ以外の結果となつたか)はにわかに推測し難いところであるが、以下に述べるところを総合すれば、亡正幸がガードレールに接触したという事実は認め難く、逆に接触した事実はないと認められる。

1  乙第一号証及び証人高橋守の証言によれば、本件事故直後に本件事故現場にかけつけ午前二時半頃から同八時一〇分頃まで実況見分を実施した巡査部長吉本秀二はガードレールの末端辺に擦過によつて出来たと思われる痕跡を認めたが、その痕跡が新しく出来たものとの判断に到達することは出来ず、事故当時亡正幸と行動を共にし、正幸の後を走つていた高橋守運転の自動二輪車の後部に同乗していた戸沢真由美(実況見分の立会人)のなした亡正幸の進路に関する説明と併せ考えて亡正幸運転のオートバイはガードレールに接触していないと判断したことが認められる。

2(一)  証人高橋守は、「後に原告春吉から見せられた写真のガードレールに黒い擦過痕があつた。亡正幸運転のオートバイのタンクも黒い。だからガードレールにタンク部分が接触したものと考える」との趣旨の供述をする。

(二)  又、原告春吉は、「亡正幸運転のオートバイは黒色であるところ、ガードレールに黒の塗料がついていたからガードレールに接触したものと思う。ガードレールにぶつかつたオートバイの部分はハンドルとタンクが考えられる。オートバイは右側と左側では右側のいたみがひどく、タンクは右側が二~三cm凹んでいた」旨の供述をする。

(三)  しかし、乙第一号証によれば、前記吉本秀二巡査部長らは見沼用水中に転落した亡正幸運転のオートバイを引揚げ、オートバイの状況を仔細に見分したこと、その結果によれば、オートバイは、前車輪ドロよけが凹損し、左右のウインカーのレンズと前照燈のレンズが破損したが、それ以外は全て左側部分の破損(五カ所)であつて、タンクの右側部分には何らの損傷もなかつたことが認められるから、証人高橋及び原告春吉の前記供述は採用あるいは信用出来ない。

(四)  乙第一号証及び原告春吉の供述により同原告が五一年七月一〇日頃に撮した写真であると認められる甲第三号証の<4><5><6>によつて認められるガードレールに残された擦過痕の長さと上下の幅とによれば、右擦過痕がオートバイのハンドル部分と接触することによつて出来たものとは到底考えられず、又タンク部分と接触することによつて出来たものとすれば、タンクの側にもガードレールと接触擦過したことによる痕跡が残る筈であるところ、前記のとおり亡正幸運転のオートバイのタンク部分には何らの損傷もないから右オートバイのタンクはガードレールに接触していないと考えられる(乙第一号証の「マフラのエンジンとの接続部に約二〇cmの擦過痕」という記載その他オートバイの破損部位についての相当詳細な記載及び右乙第一号証に添付の亡正幸運転のオートバイの右側を写した写真二葉とこの写真に対する「車体右側、異常なし」との記載に照らせば、タンク右側にガードレールとの接触を示す痕跡が存在したのにこれを見落したという事態は考えられない。)。

3  亡正幸運転のオートバイのタンクが、ガードレールに乙第一号証に添付の写真や甲第三号証の<4><5><6>の写真に示されているような擦過痕を残すような形で接触したとすれば、亡正幸の右膝辺も当然ガードレールに相当な強さで接触し、かつ擦過した筈であると考えられるところ、原告春吉の供述によれば、亡正幸の右下肢には何らの損傷もなかつたことが認められ、以上のことは、亡正幸運転のオートバイがガードレールに接触してはいないことを窺わせるものである。

4  証人高橋は、「火花がザーツと流れるのを見たからガードレールにぶつかつたんじやないかと思う。」旨の供述もするのであるが、前述のガードレールの擦過痕に照らすと、右擦過痕が生ずる際果して火花が流れるようなことがあつたか疑問なしとせず、仮に火花が流れたとしても乙第一号証及び証人高橋守の供述によつて推認される亡正幸と高橋守の位置関係から言つて亡正幸運転のオートバイとガードレールの接触によつて生ずる火花は高橋守からは見えない可能性が強いと考えられる。しかして、乙第一号証によれば、亡正幸運転のオートバイの変形アツプハンドルは引揚げて見分した際左側上部に屈曲していたこと、欄干の末端部の地上から高さ八二cm位のところに人間の皮膚と認められる肉片が付いていたことが各認められるから、高橋守が見たという火花は亡正幸運転のオートバイの左ハンドル部分が欄干に激突したことにより生じた火花である可能性が強い(この火花であるとすれば、後から進行する高橋がこれを認めるのは容易であると云える。なお、火花は、オートバイの下方部分の金属と基礎コンクリートとの激突により発生したという可能性も多分にある。)。

四  以上の次第であつて、亡正幸の死亡(溺死)と袖勾欄が倒壊したままに放置されていたという事実との間に因果関係の存在を認めることは出来ない(袖勾欄が修復されていれば亡正幸は死亡(溺死)しなかつたという関係を認めることは出来ない。)から、袖勾欄を倒壊したままに放置していたことが橋、道路あるいは河川の管理の瑕疵にあたるか否かについて論ずるまでもなく、原告らの請求は理由がないものとして棄却を免れない(愛する、春秋に富む吾が子を失つた原告両名の深い悲しみはこれを窺い知るに難くないが、本件は、被告に賠償責任を問い得るようなものではなく、吾が子の無謀運転が招いた結果であるとして諦めて貰うより外ない事件であると考える。)。

五  よつて、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条一項本文を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 高篠包)

物件目録

自動二輪車

車名 ホンダCB五〇〇cc

登録番号 埼み三五三三

登録 昭和四九年二月一五日

車長 二・一一m

車幅 〇・八三m

(変形アツプハンドル付)

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